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 汝・何を欲するか      
​2003年 Cスクエア(名古屋)

 「汝は我にかくのごとく語る。だがそれによって汝は何を欲するか。汝の目指すところは何か(スラヴォイ・ジジェク)」という意において「汝、何を欲するか」Che vuoi?を子供に問いかけるのは無理なのである。が、子供の瞑想という擬態に向かい合う時。私達は戸惑いを覚えるとともに恐怖を感じるだろう。それはメメント・モリ「死を想え」を想起させる。そして彼らが目を閉じることによりその問いは私達に返ってくる。私達は何を欲して、日々発言、行動をしているのだろう。生きる意味とは何だろう。古来哲学が課題としてきた命題に直面することになる。

 右下の作品は瞑想する子供たちの写真作品に隣接して設置された、遊園地の遊具のシーソーやブランコであり、静かに街に漂っている。いまやそれで遊ぶ子供たちの歓声はなく、子供達は瞑想しているとしたら恐ろしい状況である。

 作品のコンセプトおよび計画案作成は凱彦、撮影は廣子で製作は共同で行いました。以後廣子は対象を高校生に変更して作品を撮りましたが瞑想擬態の意味が異なっています。

​2003年 ドイツ文化センター【東京)
​イメージスケッチ
​シーソー・ブランコ
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